2025/05/18(日)「サブスタンス」ほか(5月第3週のレビュー)
「サブスタンス」

ただし、こうした男性監督の諸作と違って、やはり根底にはルッキズムへの痛烈な批判があり、墓穴を掘り続けるヒロインの暴走は男性の価値観に染まった女性の悲劇にほかなりません。
主人公のエリザベス(デミ・ムーア)が使うのは若返りの薬ではなく、若い分身を作る薬。エリザベスの背中を割って出てきたのは見事な美貌とスタイルを持つ若い女性スー(マーガレット・クアリー)でした。エリザベスがスーの体でいられるのは1週間だけ。その後の1週間は元の体で過ごさなければなりません。初めは1週間交代がうまくいきましたが、エリザベスに代わってテレビのエアロビ番組で人気者になったスーには1週間では足りなくなり、少しオーバーしてしまいます。それがエリザベスの体に深刻な老化をもたらすことになります。
パンフレットでコラリー・ファルジャ監督は「女性のからだをテーマにした映画です」と言っています。「私たち女性は、完璧で、セクシーで、笑みをたたえ、スリムで、若く、美しくなければ、世間の人々に認められないと思わされてきました」。そして「本作では『これを吹っ飛ばす時が来た』と宣言しています」。いや、それは分かるんですけど、その表現がかなり過激で極端で、だから結果的にこれは女性よりも男性がその内容に快哉を叫ぶ映画になっています。これを見て「ルッキズムは間違い、改めなきゃ」と思う男は少ないはず。
ヒロインの自滅ではなく、男性優位社会への強烈なしっぺ返しを物語に組み込んだ方が良かったと思います。映画評論家のデーナ・スティーブンズがニューズウィーク誌で「(長すぎる映画が終わって)やっと苦行から解放される思いがした」と評したのは表現にうんざりしたからです。
カンヌ映画祭脚本賞。アカデミー賞ではメイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞しました。すべてをさらけ出して熱演するデミ・ムーアが主演女優賞を取れなかったのはやはり描写のどぎつさが影響したのだろうと思います。
IMDb7.2、メタスコア78点、ロッテントマト89%。
▼観客7人(公開初日の午前)2時間22分。
「ミッション:インポッシブル ファイナル・レコニング」
シリーズ8作目にして前作「デッド・レコニング」の続編。上映前にトム・クルーズの動画があり、「シリーズの集大成」とコメントしていました。クルーズは今年7月で63歳。これがシリーズ最後の作品になるようです。AIエンティティーが世界中のネットワークを乗っ取り、核戦争の危機が迫る。イーサン・ハント(トム・クルーズ)は沈んだロシアの潜水艦からAIのソースコードを入手、それにルーサー(ヴィング・レイムス)が作った毒薬コードを加えてAIを殲滅しようとする。
前作はバイクの大ジャンプをはじめ大がかりなアクションのてんこ盛りでしたが、今回は深海に沈んだ潜水艦の中と、セスナ2機による空中アクションの2つが見せ場になってます。特にセスナのアクションはこれまで見たことがないタイプのもので、ここだけでも一見の価値はあるでしょう。潜水艦内のシーンは冒険小説ではお馴染みの死地で苦闘する主人公を描いています。相棒のベンジーを演じるサイモン・ペッグらハントの仲間たちと、米国大統領のアンジェラ・バセットらも好演していて、シリーズの掉尾を飾る作品として文句のない出来栄えだと思います。
シリーズ全体を振り返ると、4作目の「ゴースト・プロトコル」でクリストファー・マッカリーが脚本に参加したことが大きかったと思います。5作目「ローグ・ネイション」から4作連続で監督を務めたマッカリーはスパイアクションと冒険小説への造詣の深さを感じさせ、これに秀逸なアクションのセンスとアイデアが加わってシリーズのリブートを成功させました。クルーズとのコンビが続くかどうかは分かりませんが、優れたアクション映画の担い手として今後も期待したいです。
メタスコア69点、ロッテントマト81%(正式公開前のためかIMDbでは評価未発表)。
▼観客多数(先行公開初日の午前)2時間49分。
「パディントン 消えた黄金郷の秘密」
言葉を話すクマのパディントンを主人公にした児童小説の実写映画化第3弾。ペルーの老グマホームで暮らすルーシーおばさんの様子がおかしいと、ホームの院長から手紙が来て、パディントンはブラウン一家とともにペルーに向かう。ペルーに着くと、ルーシーおばさんは眼鏡と腕輪を残して失踪してしまっていた。パディントンたちはルーシーおばさんを探してジャングルに入る。ファミリームービーとして悪くはありませんが、監督が2作目までのポール・キングからドゥーガル・ウィルソンに代わったためか、出来は2作目までより随分落ちます。ブラウン家のお母さん役もサリー・ホーキンスからエミリー・モーティマーに代わりました。院長役はオリビア・コールマン、パディントンたちが乗る船の船長役でアントニア・バンデラス。名優2人がこういう映画に出るのに感心します。配給の木下グループが製作にも加わってました。
IMDb6.7、メタスコア65点、ロッテントマト93%。
▼観客7人(公開7日目の午後)1時間47分。
「かくかくしかじか」

原作者自身が脚本に加わっているのでこの部分は過不足のない描写ですが、原作の読者にはダイジェスト感が否めず、全体的にもう少しメリハリがあると良かったと思います。永野芽郁と大泉洋は好演しています。監督は永野芽郁主演の「地獄の花園」(2021年)も撮った関和亮。
物語の構成上仕方がありませんが、見上愛や畑芽郁、鈴木仁、神尾楓珠ら主人公の周辺人物の描写が少なくなったのは残念。テレビドラマで10話ぐらいかけてじっくり描いても面白いんじゃないでしょうかね。
他の地区ではどうなのか分かりませんが、映画の舞台となった宮崎市の映画館では客の入りは良いようです。
▼観客多数(公開初日の午後)2時間6分。
「逃走」

1970年代の連続企業爆破事件に関与し、指名手配されて49年間逃亡を続けた東アジア半日武装戦線「さそり」部隊の桐島聡を描く「逃走」を見ながら思ったのは、足立正生監督の桐島に対する思いは肥後リーダーの江頭に対する思いと同じ意味合いのものだろうということです。49年間逃げ切った意味が世間には理解されなくても、かつての“同志”を讃える気持ち。パンフレット掲載の同戦線「大地の牙」の浴田由紀子、「さそり」宇賀神寿一、足立監督の鼎談にもその思いが根底にあります。
しかし、桐島の在り方は終戦後長くジャングルに潜んでいた横井庄一さんや小野田寛郎さんと同じようなものではないかと思えました。逃走=闘争とは思いませんし、逃げ続けるだけでは何もアピールできません。桐島聡どころか東アジア半日武装戦線さえ今の若い世代は知らないでしょう。49年間逃げ続けるよりは早く自首して刑期を終えて、もっと大衆にアピールする表現活動などやった方が良かったと思います。
偽名で逃走していた桐島聡は2024年1月25日に末期がんで入院していた病院で本名を名乗り、それからわずか4日後に亡くなりました。逃亡中の詳細は分かっていないでしょうから、この映画が描いたのはほとんどフィクションだと思います。パンフレットにジャーナリストの青木理が書いていますが、本来ならジャーナリストが周辺人物に綿密な取材をして逃亡中の桐島の様子を明らかにしてほしいところ。それが可能な媒体は出版不況のためもあって見当たらないようです。東アジア半日武装戦線を客観的に知ることができる書籍は未だに松下竜一の傑作ノンフィクション「狼煙を見よ」(1987年刊)しかありません。
いずれにしても、昭和は遠くなりにけり、と思わざるを得ません。だからこそ、昭和を知らない観客を考慮して当時の世相がよく分かるような大局的な描き方が必要だったと思います。大道寺将志やダッカ事件、超法規的措置など若い観客にとって、この映画は意味不明のことが多いでしょう。
同じく桐島聡を描いた「桐島です」(高橋伴明監督)は7月4日から全国順次公開予定です。
▼観客4人(公開12日目の午後)1時間54分。