2017/09/08(金)「新感染 ファイナル・エクスプレス」

 ゾンビが増殖する特急列車の中でのサバイバルを描く。70年代のパニック映画の作りに「ワールド・ウォーZ」のゾンビ描写を加えた感じの作品になっている。一連のパニック映画は極限状況下での人間ドラマを描き、エゴイスティックな最低男となぜか妊婦が登場するのがお決まりだった(作劇上、困難を増幅する役割が与えられる)。この映画が意図的にそれを踏襲したのか偶然なのかは分からないが、最低男も妊婦も登場し、生き残りをかけて本性をあらわにした人間たちのドラマが繰り広げられる。列車舞台のパニック映画といえば、「カサンドラ・クロス」(1976年)が思い浮かぶ。感染者が列車に乗り込む発端も同じだが、ゾンビと列車を組み合わせたアイデアが良く、ストーリー上の工夫も凝らされていて、スピード感のある佳作になった。

「新感染 ファイナル・エクスプレス」パンフレット

 ファンドマネージャーのソグ(コン・ユ)は釜山にいる別居中の妻の元へ娘のスアン(キム・スアン)を送り届けるため、ソウル駅から高速鉄道KTXに乗り込む。同じ列車には妊娠中の妻ソンギョン(チョン・ユミ)と屈強な夫のサンファ(マ・ドンソク)、高校の野球部員ヨングク(チェ・ウシク)とガールフレンドのジニ(アン・ソヒ)らが乗り込んでいた。出発直前、列車に息絶え絶えの不審な女が駆け込む。何者かに足を噛まれていた女はやがて白目をむき、女性乗務員に襲いかかる。襲われた乗務員も凶暴化し、乗客を襲い始める。原因は研究所から漏れたウイルスらしい。感染は爆発的に増え、全国各地で暴動が発生。列車はテジョン駅で停車することになるが、降りた乗客に向かってゾンビ化した多数の兵士が襲ってきた。列車に戻れたものの、スアンとソンギョンたちはゾンビに囲まれて13号車のトイレから出られなくなってしまう。

 3両離れた13号車までソグとサンファ、ヨングクが救出に向かう。途中の車両には大量のゾンビがいる。3人は強行突破を図るが、途中でゾンビのある弱点が判明する。これが列車の特性も生かした脚本の良いアイデアだ。これがなければ、強行突破はまず不可能なので設定する必要があったのだろう。

 「ワールド・ウォーZ」ではゾンビに噛まれて死ぬと、10秒以内にゾンビ化したが、この映画もそれに倣っている。というか、噛まれてゾンビと格闘しているうちにゾンビ化する。ゾンビはリビング・デッド、ウォーキング・デッドなのでいったん死ぬことが必要だ。この映画、死ぬ描写を省略した場面がほとんどで、これではゾンビではなく、単に未知のウィルスに感染して凶暴化した患者に過ぎなくなる。実際、最低男のヨンソク(キム・ウィソン)などはゾンビに容貌が変わっても意識を保っている。いくら凶暴だからといって、そういう患者をバタバタ殺して良いものかどうか。頭を破壊すれば死ぬのがゾンビのお約束だが、この映画の登場人物たちはそれを知らず、「ウォーキング・デッド」のように頭を刺したり、叩き潰すような描写はない。

 監督のヨン・サンホはアニメ監督出身で、これが実写映画第1作。映画の前日談の「ソウル・ステーション パンデミック」も長編アニメだ。パニック映画との共通点に加えて、燃える列車が駅に突っ込んでくる場面や生き残りの乗客を軍の兵士がライフルのスコープにとらえる場面などは他の作品で見た覚えがある。ヨン・サンホ、過去の作品をうまく取り入れているようだ。

2017/09/03(日)「ワンダーウーマン」

 女性の連続殺人犯アイリーン・ウォーノスをリアルに描いた「モンスター」の監督がなぜ「ワンダーウーマン」を監督するのかと思ったが、意外なことにパティ・ジェンキンスは以前から「ワンダーウーマン」の映画化を望んでいたのだという。子どもの頃、あのリンダ・カーター主演のテレビシリーズを熱心に見ていたのだそうだ。この映画の成功はジェンキンスを監督に起用して女性視点を取り入れたことと、大柄でシャープなアクションが可能なガル・ガドットを主演にしたことに尽きると思う。

「ワンダーウーマン」パンフレット

 物語は「バットマン VS スーパーマン ジャスティスの誕生」を受けた設定になっている。ワンダーウーマンことダイアナ・プリンスにバットマンことブルース・ウェインから手紙が来る。「ようやく原版を見つけた」と書かれた手紙と一緒にあったのは第一次大戦中に撮影したと思われるモノクロの集合写真。その中央にダイアナがいた。そこから映画は回想でダイアナの過去を振り返る。

 ダイアナの故郷は深い霧で外界から遮断された島セミッシラ。そこには女性だけのアマゾン族が住んでいた。ダイアナは女王ヒッポリタ(コニー・ニールセン)の娘で、粘土の人形に大神ゼウスが命を与えて生まれたとされていた。叔母のアンティオペ将軍(ロビン・ライト)から闘いの特訓を受けて成長したダイアナは自分の不思議な能力に気づいていく。ある日、島の近くで小型飛行機が墜落する。飛行機を操縦していた米軍兵士のスティーブ・トレバー(クリス・パイン)を助けたダイアナは外界で戦争が起きていることを知る。スティーブを追って島にもドイツ兵がやって来る。世界で2500万人もの犠牲者がいると知ったダイアナは戦争を即刻止めるため、そしてドイツ軍を操っているらしい軍神アレスを倒すためにスティーブとともにヨーロッパの最前線へ向かう。

 ドイツ兵を相手にダイアナが見せるアクションが良い。ここまで伏せてきた(本人も知らなかった)本当の力を解き放ち、超人的なアクションを見せつける。いや既に「バットマン VS スーパーマン」でもダイアナはスーパーマン並みの力を披露していたのだけれど、時代はこの映画の方が古いわけだし、アクションの見せ方にもメリハリがあるのだ。アクションは演出次第なのだとあらためて思う。

 ピュアな環境で育ったダイアナはピュアな思想を持っている。ダイアナが戦うのは世界平和を守るため。そんなことを大まじめに言ったら今では冷笑されてしまいそうだが、戦場で負傷した兵士や逃げ惑う人々を見て強い怒りを見せるダイアナの姿はその言葉に説得力を持たせる。この映画が一直線に力強いのはダイアナのそうしたぶれないキャラクターがあるからだ。これは純粋な女性が自分の役割を自覚し、自己実現を果たす物語にもなっている。

 残念ながら、イスラエル軍で兵役経験があるガドットの過去の経歴と発言のため、中東では映画の上映中止や延期が起きたそうだ。レニ・リーフェンシュタールを持ち出すまでもなく、映画はプロパガンダの有効な手段だから、イスラエル軍の残虐行為を肯定する女優が主演する映画はイスラエル軍のPRになるとする意見が出てくるのは仕方ないことなのかもしれない。

 だが、映画の中でダイアナ=ワンダーウーマンの行動原理となっているのは戦争の犠牲となる弱い人々を救うことであり、ピュアな人道主義にほかならない。観客は映画のキャラクターとそれを演じる俳優を同一視してしまいがちだが、それが間違いであることは言うまでもない。現実のガドットがどうあれ、ダイアナの怒りはイスラエル軍にも向かうものだろう。

2017/08/26(土)Netflix版「デスノート」

 25日に配信開始されたので早速見た。夜神月(ライト)の役名はライト・ターナーとなり、演じるのは子役出身のナット・オフ。Lを演じるのがアフリカ系アメリカ人のラキース・スタンフィールドというのが意外なキャスティングだ。弥海砂(あまね・ミサ)→ミア・サットンはマーガレット・クアリー。死神リュークがウィレム・デフォーなのはエンド・クレジットで知った。

 監督が「サプライズ」のアダム・ウィンガードなので少し期待もあったが、IMDbで評価5点という悲惨な結果(その後さらに下がっている→Death Note)。これは主演のナット・オフに魅力がないことと、原作と離れた後半の展開が弱いことが主な要因だ。トリックの説明に終始して、原作の7巻にあるような驚愕の展開にはなっていない(当たり前か)。スタンフィールドのLも松山ケンイチに負けている。スタンフィールドは「ショート・ターム」「グローリー 明日への行進」「ストレイト・アウタ・コンプトン」「スノーデン」など話題作に連続して出ているが、個人的には名前と顔が一致するほどの印象は持っていなかった。

 1時間40分の上映時間で「デスノート」を描くのは難しい。1時間10話ぐらいのシリーズにした方が良かったのではないか。ウィンガードは「ゴジラ VS コング」(2020年公開)も監督予定だが、大丈夫なんだろうかと思えてくる。

2017/08/23(水)「哭声 コクソン」

 ナ・ホンジン監督(「チェイサー」「哀しき獣」)のホラー映画。最近のホラーの中ではオリジナリティーがあって面白いが、2時間36分は少し長い。長くなった理由は終盤にツイスト、というか観客を翻弄するストーリー上の仕掛けがあるためだ。これはなくても本筋になんら影響は与えないのだが、あった方が話に膨らみは出る。監督は混沌や混乱、疑惑に巻き込まれる人間たちを描くことも狙いとしていたそうなので、ここは必要だったのだろう。amazonビデオで鑑賞。

 哭声とは泣き叫ぶこと(英語タイトルはWailing)。舞台となる村も谷城(コクソン)という名前だ。全羅南道の北東部にある谷城郡はナ・ホンジン監督が幼児期に住んでいたところだそうだが、必ずしもそことは一致せず、名前を借りただけのようだ。

 この村で家族を皆殺しにする凄惨な殺人事件が連続して起きる。犯人はいずれも全身に湿疹があり、白目をむき、まともな精神状態ではなかった。村人の間では最近村にやってきた日本人の男(國村隼)と関係があるのではないかとのうわさが流れ始める。この男は山中で鹿の死肉を食らう姿が目撃されていた。事件を捜査する警察官のジョング(クァク・ドウォン)は男の家に娘のヒョンジン(キム・ファンヒ)の靴があるのを見つける。やがてヒョンジンには犯人たちと同じ湿疹が出てきた。さらに異常な行動をし始めたヒョンジンを救うため、ジョングは祈祷師のイルグァン(ファン・ジョンミン)に悪霊払いを依頼する。

 土着の悪霊からゾンビ、悪魔までさまざまな怪異の表現を取り入れているところが面白い。國村隼は正体不明な感じをうまく演じている上、ふんどし姿で山中を駆け回る怪演を見せ、韓国で男優助演賞を得た。起用した監督の期待に十分応えただろう。

2017/08/15(火)連続ドラマW「アキラとあきら」

 ミステリマガジン9月号によると、池井戸潤の小説「アキラとあきら」は2006年から2009年にかけて問題小説に連載された。単行本化されていなかったその小説をWOWOWの青木泰憲プロデューサーが読み、池井戸潤に「胸が何度も熱くなりました」と伝えたそうだ。そうした作り手の思いはドラマの内容に結実しており、だからこっちの胸だって毎回熱くなりっぱなしになるのだろう。

 原作を読んでいる家内に言わせると、ドラマの方が面白いという。連載原稿は原稿用紙1500枚。池井戸潤はドラマ化に合わせて出版するために気に入らない部分を700枚を削り、新たに500枚を書き足し、さらに300枚削って100枚足した。ドラマの方は連載原稿を基にして脚本化しているから(これは水谷俊之監督が「WOWOWぷらすと」で語っていた)、文庫本とドラマの内容が違ってくるのも当然なのだった。

 ドラマの内容はWOWOWの紹介を引用すると、「自らの意志で人生を選んできたエリートと、自らの能力で人生を切り開いてきた天才 2人の“宿命”を描くヒューマンドラマ」ということになる。バブル期前後を舞台にした物語。父親が零細企業を営む山崎瑛(斎藤工)と大企業・東海郵船社長の息子階堂彬(向井理)は共にメガバンクの産業中央銀行に入行する。山崎瑛が銀行員を目指したのは倒産しそうな父親の会社を助けた銀行員の姿を見ているからだ。階堂彬は大企業の社長を継ぐという敷かれたレールに乗ることを嫌って銀行に入った。金持ちと貧乏人の主人公という設定なら、普通は貧乏人の方を主人公にしてその対立者として金持ちを描くことになりがちだが、この物語は違う。2人のあきらはお互いの実力を認め合い、共に銀行員として理想的な姿を追い求める。

 それを象徴するのがこんなエピソードだ。山崎瑛が担当している中小企業が倒産しそうになる。この会社の社長の娘は心臓病を患い、アメリカで移植手術を受ける予定だった。倒産して銀行預金を差し押さえられたら、娘は手術を受けられなくなる。瑛は社長に預金を全額解約して他行に移すよう勧める。その結果、銀行に損害を与えたことから瑛は静岡支店に異動させられることになる。「山崎はこれで出世コースから外れた」と陰口をたたく行員がいる中、階堂は「早く帰ってこい。おれはお前と一緒に仕事がしたいんだ」と話す。

 2人のあきらの行動は正義と理想を意識したものではなく、人間として真っ当な在り方に基づく自然なものだ。「取引先のことを助けてやってくれ。それがお前の宿命だ」。瑛の父親(松重豊)はことあるごとにそう言う。ある銀行幹部はこう言う。「銀行は社会の縮図だ。金は人のために貸せ。生きた金を貸すのがバンカーだ」。銀行が金儲けのためだけに仕事をしていいはずがない。池井戸潤のそういう主張を最大限に物語にちりばめた脚本(前川洋一)と的確な演出(水谷俊之、鈴木浩介)、出演者たちの好演がドラマを充実したものにしている。羽岡佳の音楽を聞くたびに強く心を動かされる。必見のドラマだと思う。