2005/06/07(火)「電車男」
「エルメスさんち行きのチケットは、JTBじゃ売ってくれねえんだよ!」
「一つだけ言っておく。相手の女性は一人だが、おまいにはオレたちがついている」。
もちろん、原作では“オレたち”ではなく、“2chがついている”、となっている。電車男のまとめサイトを読んだ時に心を動かされたのは電車男とエルメスの話ではなく、こうしたスレッドの住人たちの言葉であり、ラブストーリーの方は平凡なものに思えた。だからこれを映画化するには住人たちをどう描くのかがポイントだろうと思った。脚本の金子ありさは「あくまでもメインはラブストーリーとして描きつつ、“新しい物語”としてネットの向こうの応援者もちゃんと描き出そうと思いました」と語っている。メインはラブストーリーじゃないと僕は思っているので、これは違うと思うが、映画にするならラブストーリーを強調した方が分かりやすいのも事実だろう。こうしてラブストーリーをメインにしつつ、スレッドの住人たちもそれなりに描いた映画になった。端的に言えば、出来は悪くないと思う。映像の色彩には感心しないし、演出も演技もテレビドラマのレベルで、クライマックスのキスシーンの下手さ加減には頭を抱えたくなるのだが、主演の山田孝之の好感度が高く、男から反感を持たれない男であるのがいい。電車男の必死さをややオーバーアクト気味に演じた山田孝之の好感度はそのまま映画の好感度につながっていると思う。
電車の中で酔っぱらいに絡まれている美女をアキバ系オタク男が助けたことが発端。美女はお礼にエルメスのカップを送ってくる。男は彼女と何とか付き合いたいと思うが、彼女いない歴=年齢(22歳)なので、ネット掲示板の助けを借りる。匿名の書き込みからアドバイスと励ましを受けながら、男はなんとか恋を成就させるというのがプロット。原作はクライマックス前に男が気弱になる場面(伊丹十三の言葉を借りれば、ロウポイント)があり、ちゃんとした物語になっているところが良くできていると思う。ここで「JTBじゃ売ってくれねえんだよ」の書き込みが出てくるのだ(原作を正確に引用すれば、「そういう以前に、エルメスんちに行くとかそっちの方がよっぽど大変なんよ。エルメスんち行きのチケットとかJTBで売ってくれない訳」となる)。映画はこの場面をスレ住人の口から直接言わせている。ここがなかなか感動的である。書き込みを元にした空想の場面なのだが、電車のホームの向こう側にいる電車男に向かって、スレの住人たちが一列に並んでそれぞれ励ましのエールを送るのだ。
映画は住人たちをもてない男3人組(岡田義徳、三宅弘城、坂本真)、看護婦(国中涼子)、主婦(木村多江)、親に反抗的な少年(瑛太)、30代らしい男(佐々木蔵之介)の7人に代表させて描いている。それぞれにちょっとしたドラマを付け加えているのが金子ありさの工夫だろう。僕は電車男の現在進行形の書き込みには間に合わなかったが、それから少し遅れてまとめサイトを読んだ。掲示板の書き込みを読むのは自分も参加した気分になるものだが、本になり映画になると、そういう感覚は薄れてくる。「大好き>おまいら」という電車男のセリフもだから、あまり真に迫ったものにはなっていない。電車男とスレ住人たちの関係が映画では薄れているのだ。それが残念と言えば残念なところか。
エルメスを演じる中谷美紀はただ微笑んでいるだけで、クライマックス後に電車男に本心を打ち明けるまで演技のしどころがないのがつらいところだ。山田孝之とちょっと年が離れすぎているのも気になった。本当ならはっきり2ちゃんねるの名前を出した映画にしてほしかったところだが、まずまずの作品になったのでいいだろう。いずれにしても映画の中に_| ̄|○とかのアスキーアートが出てきたのは初めてだと思う。その意味で貴重な作品ではある。
巻頭特集は「ミリオンダラー・ベイビー」。既に公開されているので、いつものキネ旬らしくない掲載の遅さだが、これは終盤のネタを割るために仕方のない措置だったのかもしれない。クリント・イーストウッド、ヒラリー・スワンク、モーガン・フリーマンのインタビューのほか、崔洋一、宇田川幸洋、新藤純子、香川照之の文章が結末に触れている(注意書きがある)。この映画の分析ではそういう部分がないと、後世に残す文章として十分ではないのだろう。
アカデミー主要4部門受賞。それが当然の傑作だと思う。F・X・トゥールの短編をテレビの脚本が多いポール・ハギスが脚本化し、クリント・イーストウッドが監督した。予告編はボクシング映画にしか見えなかったが、イーストウッドは、この優れた脚本がボクシング映画ではなかったから監督を引き受けたのだという。原作を読んでいたので終盤の展開に驚きはしなかったけれど、逆に原作の終盤をそのまま映画にするのは(興行的側面を考えると)難しいと考えていた。だから、この映画がうまく成功していることに感心せざるを得なかった。それは主要登場人物の背景をしっかりと描き込んだからにほかならない。キャラクターの詳細な描写が圧倒的な大衆性につながっている。イーストウッドがプロだと思うのは大衆の視点で映画を作り、自己満足のためだけの映画を作る考えなど微塵もないことだ。主演のヒラリー・スワンク、イーストウッド、モーガン・フリーマンの深みのある演技が加わって、この厳しい映画を見事なものにしている。