2006/07/05(水)「いつか読書する日」
50代のラブストーリー。行間を読む映画だなと思う。モントリオール審査員特別大賞の授賞式で緒形明監督も「すべてを説明する映画ではなく、何かを感じ取ってもらえれば」とスピーチしていた。僕が思い浮かべたのは岸部一徳が死ぬシーンで成瀬巳喜男の「乱れる」(傑作ではない)、妻の死後に結ばれる2人を見て平岩弓枝の短編小説(タイトルは忘れた)。
主人公2人の心情を終盤までほとんど描かないのはハードボイルド的な手法。というか、僕は古い日本映画を見るような感じを持った。行間を読ませる映画というのは詩的な映画でもあるということだ。詩的であることを意識したかどうかは知らないが、映画監督である前に映画ファンという緒形明は古い日本映画もたくさん見ているのだろう。
主人公の美奈子(田中裕子)が長い坂道の階段を前に「よしっ」と自分に言い聞かせるシーンがおかしい。50代ともなれば、ああいう風になるのだろう。僕も既にあんな長い坂道を上る体力はありませんがね。怖かったのは仁科亜季子が点滴を引きずりながら、牛乳受けに手紙を入れるシーン。死を目前に控えた女の執念みたいなものを感じた。
大場つぐみ・小畑健のベストセラーコミックを平成ガメラ3部作の金子修介監督が映画化。警察で対処できない犯罪者を主人公が殺すという始まりは警察内部の私設警察を描いた「黒い警察」や「ダーティハリー2」を思わせるが、この映画の場合、名前を書かれた人間は死ぬというデスノートを使うのでファンタジーっぽい様相がある。ただし、映画の魅力はファンタジーではなく、意外なストーリー展開とキャラクターの面白さの方で、ミステリ的な趣向の方にある。原作漫画を4巻まで読んでみたが、映画の脚色(大石哲也)は原作のエッセンスをコンパクトにまとめてあってうまいと思う。原作には登場しない主人公の恋人にクライマックス、劇的なドラマを用意しており、ここではっきりと主人公がダークサイドに落ちたことを明らかにしている。このあたりの驚きは最初から主人公に悪の雰囲気がある原作にはないものだ。デスノートの元の所有者である死神リュークのCGは良くできていて、原作よりも漫画チックな造型であるにもかかわらず、陳腐にはなっていない。金子修介のエンタテインメントの資質が良い方向に働いたと思う。2時間2分の上映時間のうち、少し冗長と思える部分もあるが、第2のキラと死神が加わって、夜神月(ライト)とLの対決が本格化する後編が楽しみになった。
ラース・フォン・トリアー監督のアメリカ3部作の第2弾。前半は「ドッグヴィル」と同じような話だなと思い、退屈だったが、後半面白くなる。これは異常な共同体を描いた映画だと思う。終盤、この共同体の真実が明らかになり、それまでの見方を変えざるを得なくなる。こういう話、世間から隔たった狭い集団の中ではよくある話。集団だけの規則を作り、世間とは独立して独自の世界を築き上げていく。サイコな宗教集団などにありそうだ。この異常な世界に入った主人公のグレース(前作のニコール・キッドマンに代わってブライス・ダラス・ハワード)は表面的な部分を見て民主的な改善をしようとするのだが、表面とは違ったねじれた世界なので、そのしっぺ返しを食うことになる。