2012/11/26(月)「魔法少女まどか☆マギカ 前・後編」

 「ハッ、君は本当に神になるつもりかい?」

 「神さまでもなんでもいい。今日まで魔女と戦ってきたみんなを、希望を信じた魔法少女を、私は泣かせたくない。最後まで笑顔でいてほしい。それを邪魔するルールなんて壊してみせる、変えてみせる。これが私の祈り、私の願い。さあ、叶えてよっ」。

 悪魔はひそかに忍び寄る。決して悪魔の姿をしたままで近寄ってはこない。猫に似たキュゥべえという謎の生物は少女たちに契約を持ちかける。「君の願いを一つだけ叶えてあげる。その代わり、魔女と戦わなくてはいけないよ」と。魔女は人に絶望をもたらす存在で、人の死や不幸や災厄にはすべて魔女がかかわっている。前編の序盤を見ながら、「異界からの侵略者と戦う少女戦士たちの話」と思ってしまったのだが、その後はこちらの想像をはるかに上回る展開だった。

 日本のアニメーションで「魔法使いサリー」あたりから始まり、綿々と作られてきた魔法少女という枠組みを逆手にとって、作者たちは緻密にそしてダイナミックに物語を構築している。キュゥべえのショッキングなセリフで締めくくられる前編は情報量が多く、上映時間も2時間10分と長いため見終わるとグッタリするが、話はとても面白く、引き込まれる。元がテレビアニメなので、各回のクライマックスを次々に見せられる感じがあるのだ。引き込まれて集中しすぎたたために起こる疲労感なのである。後編は物語のネタ晴らしと解決だ。絶望的で逃げ場のない状況に閉じ込められた少女たちを救う手立てはあるのか。作者たちはあらゆる可能性を否定してみせ、主人公のまどかは最後にこれしかないという解決策にたどり着く。

 希望、願い、祈り。幸せを願う人の気持ちを否定するような世界は間違っている。希望を絶望に変えてはいけない。この作品のメッセージはそれに尽きる。魔女の結界の抽象的な描写など技術的に賞賛すべき点は多々あるが、何よりもシンプルで当たり前のメッセージを訴えるからこそ、この作品はとても力強く人の心を動かすのだ。

 元のテレビアニメ全12話は2011年1月から東日本大震災による休止期間を経て4月まで放送された。深夜枠だったので、子ども向けではない。震災の時期に祈りというメッセージほど似合うものはないが、震災に合わせたわけではもちろんなく、元から備えていたものである。

 究極のセカイ系アニメであり、過去の数々のジャパニメーションの傑作群の上に築かれた記念碑的な作品と言える。希望を信じる人、信じたい人は急いで劇場に駆けつけなければならない。

2012/11/18(日)「機龍警察 自爆条項」

 1作目はパトレイバーの設定を借りた警察小説という趣だったが、今回は冒険小説のテイストを取り入れている。それもそのはず、作者の月村了衛はジャック・ヒギンズやアリステア・マクリーンの小説が好きなのだという。今回メインとなるのはライザ・ラードナー。元IRFのテロリストで現在は警視庁特捜部に雇われた突入班の傭兵。機龍兵(ドラグーン)のパイロットで警部の肩書きを持っている。現在の事件と併せてそのライザの過去が描かれる。これがもうジャック・ヒギンズの世界だ。

 軽いジャブのような1作目から作者は大きく進化している。このタイトル、設定だと、ミステリファンは手に取りにくいが、少なくとも冒険小説ファンなら満足するだろう。虚無的なライザの魅力が光る。「このミス」9位で、「SFが読みたい」では11位。これはSFではないから仕方がない。作者の本領は冒険小説にある。

 

2012/10/23(火)「アウトレイジ ビヨンド」

 「山守さん……まだ弾は残っとるがよう…」。

 名作中の名作である「仁義なき戦い」シリーズと比較するのが無茶なのは分かっているが、同じヤクザ映画でも「アウトレイジ ビヨンド」、僕には大きく見劣りがした。KINENOTEを見てみたら、やっぱり「仁義なき戦い」と比較しているレビューがあった。裏切りに次ぐ裏切りという展開が似ているのである。だがしかし、両者を大きく分けるのはキャラクターの造型とプロットの深みにある。

 北野武映画のキャラクターが書き割りみたいに薄っぺらなのは今に始まったことではない。それにしても、この映画のヤクザたちは判で押したようにどれもこれも同じだ。やさ男の加瀬亮がドスのきいた声で話す場面に最初はおっと思ったけれど、その後に登場する三浦友和も中尾彬も西田敏行も塩見三省も大声で怒鳴り散らす同じパターン、同じ演技で、やれやれと思った。唯一違うのは刑事役の小日向文世ぐらいだ。キャラクターの背景も描かれないので、誰が殺されようが、誰に殺されようが、気持ちが動いていかない。一本調子のキャラクター、一本調子の映画であり、これは頭で作ったヤクザ映画、バイオレンス映画に過ぎない。笠原和夫が丹念な取材を重ね、猥雑なエネルギーに満ちた「仁義なき戦い」にはとても及ばない。

 プロットはキャラクターの造型ほど悪くはない。前作から5年後の設定。東京の山王会は兄貴分や親分を出し抜いて加藤(三浦友和)が会長の座に就き、政界へも影響力を持っていた。若頭は大友組の金庫番だった石原(加瀬亮)。警視庁の刑事・片岡(小日向文世)は勢力を伸ばす山王会をたたくため、不満を募らせる古参の組幹部たちをそそのかし、関西の花菱組に接近させる。同時に刑務所で服役中の大友(ビートたけし)に加藤を会長の座から引きずり下ろそうとそそのかす。そこから、先の見えないヤクザの抗争が始まっていく。山王会内部の分裂は定石通りと言える。惜しいのは花菱組が一枚岩であること。ここはやっぱり、花菱組内部にも分裂を起こさせ、敵か味方かをとことん分からないようにしたいところだった。

 だからといって、この映画つまらないわけではない。そこそこ楽しめる映画になってはいる。キャラクターの簡単さや、あまり凝らないプロットはよく言えば、贅肉をそぎ落とした結果と言えるかもしれない。しかし、僕が求める映画とは異なる。はっきり分かったのは北野武に「仁義なき戦い」をビヨンドするような映画は撮れないだろうということだ。映画は細部に豊穣さが必要なのである。

2012/10/21(日)「サニー 永遠の仲間たち」

 自分が通っていた高校を主人公のイム・ナミ(ユ・ホジョン)が訪れる。カメラが360度パンするうちに制服姿で坂道を上る女子高校生たちが私服姿に変わり、ナミが25年前の自分に戻るというジャンプショットを見て、これは男の監督が撮ったのだろうと思った。ここに限らず、撮り方が男性的だ。案の定、監督はこれが2作目のカン・ヒョンチョルだった。カン・ヒョンチョルは1974年生まれ。1980年代の話であっても、映画にノスタルジー色が薄いと感じるのは僕が韓国の風俗に詳しくないからでもあるが、監督の興味がそこにないからだろう。

 カン・ヒョンチョルの興味はウェルメイドなコメディの方にあるようだ。その点でこれは水準以上の出来だ。母親が入院した病院で主人公は高校時代の7人グループのリーダー、ハ・チュナ(ジン・ヒギョン)と出会う。チュナはがんにかかっており、余命2カ月と宣告されていた。もう一度、高校時代の仲間たちと会いたいというチュナの望みをかなえるため、主人公はかつての仲間たちを探し始める。そこから悩みが多くてもキラキラしていた高校時代と現在の仲間たちの姿が交互にコメディタッチを交えて描かれていく。

 コメディタッチといっても、25年の時の流れは重い。ミスコリアを目指していた少女が水商売でやさぐれていたり、太っていた少女はやっぱり太っていて成績のサエない保険外交員になっていたり、作家を夢見ていた少女は狭いアパートで姑にいびられていたりする。しかし、必要以上に重くせず、軽いタッチで仕上げたところがこの映画の良さで、万人受けする作品になっている。主人公の娘をいじめていた少女たちをかつての仲間とともにボコボコにする場面などは溌剌としていて痛快だ。

 映画の出来に文句を付けるところはあまりないが、ちょっと引っかかったのは軍隊と市民が衝突する場面までコメディタッチで描いていること。当時をリアルタイムで知っている世代の監督なら、こういう描き方はしなかっただろう。1980年代、「韓国の学生は日本の学生よりましだ」と言われた。60年安保、70年安保の頃と比べるべくもなく、日本の80年代は学生運動がすっかり下火になっていたが、韓国では光州事件を経て民主化運動が活発だったからだ。映画の中でも主人公の兄は労働運動に打ち込んでいる(その兄は現在、会社の金を横領したという設定だ)。経済成長が進んだ今は韓国も日本と変わらなくなった。

 女優たちはそれぞれに良いが、高校時代のチュナを演じるカン・ソラが頭一つ抜けている。若いころの山口美江をどこか思わせる顔立ちで、今後伸びていく女優なのだろう。

 あと、オープニングとエンディングに流れる「タイム・アフター・タイム」はやはり、シンディ・ローパーの歌を使ってほしかったところだ。「ハイスクールはダンステリア」(ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン)もローパーの歌が始まりそうになるところで音量が小さくなった。ローパーの歌が使えない事情があったのだろうか。

2012/10/17(水)Kinoppy

 本好きには支持されないだろうと思っていたが、Nexus 7を買って以来、電子書籍にはまっている。7インチの画面というのは本を読むのにぴったりなのだ。2000円が特典で付いていたこともあってGoogle Playブックスで3冊購入。紀伊國屋書店BookWebでも4冊購入した。タブレットでもスマホでもパソコンでも同じ本を読めるのがポイントで、読んだ位置はサーバーで同期され、どの端末で開いても、続きを読み始められる。家ではタブレットで読んで、外出先ではスマホで読む。こういう読み方、一気に読みたい小説には向かないが、新書など実用的な内容の本には向いている。

 Google Playブックスと紀伊國屋Kinoppyというアプリを比べると、基本的な機能は同じだが、Kinoppyの方が作り込みが丁寧な印象。フォントが付属していて、文字の表示がきれいだ。Playブックスの方はNexus 7の場合、句読点やカッコが全角の中央に表示されて違和感がある。これ、スマホではちゃんと表示されるので、フォントの問題だと思う。逆にスマホでは検索が機能しない。キーワードを入れても、「一致する検索結果がありません」と出るだけ。タブレットではちゃんと検索できた。

 電子書籍のメリットはこの検索機能にもあるな、と思う。「あのフレーズはどこに書いてあったっけ」と本をめくる必要がない。情報に素早くアクセスできるメリットは本の場合も大きいのだ。

 Kinoppyは縦書き、横書き表示を簡単に切り替えられる。これはepubを利用しているのだろうと思って、ファイルを調べてみた。ダウンロードされたファイルはNexus 7の場合以下にあった。

/sdcard/Android/data/jp.co.infocity.ebook/files/Contents/

 ファイルは拡張子kbeで、秀丸で開いてみると、バイナリファイルだった。元々のepubをバイナリ化しているのだろう。単純なepubだと、コピーし放題になってしまうから、これは当然の措置か。もっと調べてみたら、というか、epubなら解凍できると思い、解凍してみたら、中からドットブック形式(.book)のファイルが出てきた。epubではなかった。なるほど。紀伊國屋はSONYのReaderに対応しているので、ドットブック形式を使っているわけだ。

 Kinoppyだけでなく、紀伊國屋は電子書籍の量が多いのも良い。出版社によっても違うのだろうが、価格も本より100円から200円余り安く設定してある。100円につき1ポイント付いて、たまったポイントは購入の際に利用できる。昨日、ポイントを確認してみたら、176ポイントあった。100円で1ポイントにしては多すぎるなと思ったら、現在キャンペーン中で、AndroidのKinoppyで購入すると、獲得ポイントが10倍になるのだった。キャンペーンは28日まで。欲しい電子書籍は今のうちに買っておこうか。