2013/01/01(火)預貯金の目減りと投資

 日経電子版で某投信会社の会長が「『大胆な金融緩和』があなたの現預金を脅かす」というコラムを書いていた。インフレになったら、中低所得者は食べることにも困ってしまう。預金に偏っている財産を投資にも向けるべきだという内容だ。

 インフレになれば、金利がゼロに等しい今の預貯金の価値が目減りするのは確かだが、こういう書き方では、がんの恐怖を煽って、加入を勧めるがん保険のやり方となんら変わらない。このがん保険、日本と韓国、台湾でしか流行っていないそうだ(特に日本が多い)。世界的に見れば、数ある病気のうち、がんの保障しかしない極めて特異な医療保険、という位置づけである。僕は医療保険そのものが不要だと思うが、どうしても入りたいなら、がん保険ではなく、普通の医療保険の方がまだましだと思う。がん保険に加入してよいのは家族・親族の多くが、がんで死んでいる人ぐらいだろう。

 インフレになって、企業の業績が上がったにしても給料はなかなか上がらないだろうから、生活は苦しくなる。そういう場合、どうするのか。多くの日本人はたぶん我慢する。この20年で日本人は我慢することに慣れてしまった。若者は車も酒も欲しがらなくなった。ZAiオンラインの「年間給与が低い会社100社」を見ると、年間給与200万円台の会社が多いのに驚く。庶民が自己防衛で投資を始めるよりも、社会全体が豊かになる政策が望まれる。景気回復の掛け声よりも、国民の生活を豊かにするという直接的な言葉がほしいものだ。

 昭和20年代、30年代の日本映画を見ると、日本人はみんな今よりはるかに貧しい。貧しくて不便でも不幸じゃない。貧しいのが当たり前の社会だからだ。映画「三丁目の夕日」シリーズが僕は好きだが、このシリーズで残念なのは画面から貧しさが欠落していること。当時の世相が皮膚感覚として分かっていないからだろう。あのシリーズ、きれいなカラーや3Dじゃなくて、小栗康平「泥の河」のように白黒映画にすれば、もっと雰囲気が出ると思う。もっとも、山崎貴監督はリアリズムをが目指しているわけではなく、ファンタジーやSFに近い感覚なのだと思う。そうした舞台設定で人情味豊かだった時代の理想像を目指しているのだろう。

2012/12/29(土)何が心を動かすのか

日本テレビが「風と共に去りぬ」を初めて放映した時だから、30年以上前のことだ。ラジオを聴いていたら、こんな内容のハガキが読まれた。

私は事業に失敗して多額の借金を背負いました。このままでは一家心中するしかない追い詰められた状態でした。そんな時にテレビで「風と共に去りぬ」が放映されました。主人公のスカーレット・オハラが「神さま、私は負けません。この苦難を生き抜き、二度と飢えません!」と天を仰いで力強く誓う場面を見て、考えが変わりました。自分もスカーレットと同じように、もう一度頑張ってみよう。そう思い直しました。

言うまでもなく、「風と共に去りぬ」は名作中の名作だ(このセリフが最後にある前半はすごい名作、「そうだ、タラに帰ろう」と言う後半は普通の名作だと思う)。しかし、自殺を考えているすべての人に自殺を思いとどまらせるような力が、あるいは人生を変えるような力がこの映画にあるかと言えば、そんなことはないだろう。

映画や小説から何を受け止めるかは観客や読者の考え方や経験、置かれた状況によってさまざまに異なる。作者が作品に込めたメッセージを作者の予想以上に大きく受け止めることがあるし、別のメッセージを受け取ることもある。作者が何気なく描いた作品の細部に大きく反応することもある。

ロバート・B・パーカーの小説「愛と名誉のために」(絶版らしい)はそんな部分を描いていた。大学生だった主人公は恋に破れて、少しずつ人生を踏み外し、数年後にはホームレスにまで堕ちてしまう。主人公はある朝、海岸の砂浜で眠り込んでいた時にスコット・フィッツジェラルド「グレート・ギャツビー」の一節をふと思い出す。

人の振る舞いの基盤は、堅い岩の場合もあれば、沼沢の場合もある。

この言葉がきっかけとなって、主人公はゆっくりと再生への道をたどり始めるのだ。「愛と名誉のために」に感動した僕は「グレート・ギャツビー」も読んでみた。この言葉は確かにあった。それは作品の本筋とはまったく関係ない部分だった。

「愛と名誉のために」の主人公は(ということは作者のパーカーは)この言葉に感じるものがあったのだろう。普通の人なら読んでそのまま忘れるかもしれない一節が強く心に残ったのだと思う。そしてそれはフィッツジェラルドが特に力をこめた部分ではなかったはずだ。

つまり、言葉や描写の意味を大きくしたり、小さくしたり、まったく無意味にするのは、あくまでも観客や読者の方だということだ。同じ場面に感動したとしても、AさんとBさんがまったく同じ人間ではない以上、AさんとBさんの感動の度合いや内容は異なる。

もう一つ、以前にも書いたことがあるが、作家の都筑道夫がキネマ旬報の連載で紹介したアメリカのテレビドラマ「ザ・ネーム・オブ・ザ・ゲーム」の一エピソードを再度書いておきたい。これは本当にうまい脚本だと思う。

 あるラジオ局の人気DJのもとに一本の電話がかかってくる。電話をかけてきた女は失恋によって絶望し、これから自殺するという。驚いたDJは必死で自殺をやめるようにラジオから呼びかける。ありとあらゆる言葉を駆使し、「死ぬのは無意味だ」と自殺を思いとどまるよう説得する。この放送は聴取者にも大きな反響を呼び、「自殺するな」という声が多数寄せられる。
 ところが、女が自殺するというのは嘘だった。深夜になって、再び電話を掛けてきた女は自分が女優の卵であり、演技力を試してみたかったのだと打ち明ける。「あなたのお陰で自信がついたわ」。女は笑って電話を切った。
 DJは自分が騙されていたことにがっかりして放送局を出るが、局の前で暗がりから出てきた一人の女性が「ありがとう」と言って包みを差し出す。包みの中には睡眠薬があった。

この女性は「死ぬな!」というDJの言葉が胸に響いたのだ。DJの真摯な呼びかけは無駄にはならず、1人の女性を救うことになった。

人は物語の言葉や描写自体によって心を動かされるのではない。言葉や描写をきっかけにして、自分で自分の心を動かしているのだ。人間の脳は入力されたデータを分析・解釈し、自分なりのデータに変換している。それが人の心を動かす源になっている。

以上のようなことをつらつら考えたのは、KINENOTEで「光のほうへ」のレビューを読んだら、まったく感動していない人がいたからだ。しょうがない。脳の変換エンジンがそれぞれ違うんだから。

2012/12/27(木)「光のほうへ」

2010年のデンマーク映画。東京では昨年6月に公開されたが、宮崎での公開は今年1月。大きな賞を取っているわけでもなく、それほど話題にもならなかったのでほとんど期待せずに見たら、しみじみと良かった。端的に言って肉親の絆と人の再生を描いた映画だ。

ラスト近くまでやりきれない展開である。冒頭、少年2人が赤ん坊の弟に洗礼のまねごとをしている。母親はアルコール依存症。兄弟は母親の代わりにミルクを作り、赤ん坊に飲ませる。しかし、赤ん坊はある日、突然死していた。十数年後、成人した兄のニック(ヤコブ・セーダーグレン)は恋人のアナと別れ、自暴自棄になって最近まで刑務所に入っていた。狭い臨時宿泊施設(シェルター)で暮らしながら、酒浸りの日々だ。弟(ペーター・ブラウボー)は2年前に妻を交通事故で亡くした。今は幼稚園生の息子マーティンと暮らすが、麻薬中毒になっている。兄弟2人とも希望の見えない最底辺の生活だが、より哀れを誘うのは子どものいる弟の方だ。

麻薬を打ち、寝過ごした弟は冷蔵庫が空っぽなのを見て、昼食を持たずに幼稚園へ行けとマーティンに言う。今日は友達の昼食を分けてもらうんだ。「いやだ」とマーティンは泣き出す。「いつだって、そうじゃないか!」。

この後、兄弟はそれぞれの事情で逮捕される。雪がぱらつくある日、ニックは刑務所の中庭で鉄格子の向こうにいる弟をみつける。

「おい! 兄さんだ」
「ニック」
「なんてザマだ」
「言えた義理か」
「いつここに?」
「3週間前」
「マーティンは?」
「どこか知らない…。兄さんを想ってた」
「俺もだ」
「もっと話したかった。もっとたくさん会えばよかったよ」
「電話しようとしたんだ」
「あの時、俺たちは悪くなかったよ。いい兄さんだった。精一杯やった。俺も頑張ったよ」
「どうしたんだ。大丈夫か?」
「でも、これまでだ」
「何だって? 何て言った?」

この場面からラストに至るまでが秀逸だ。兄弟の絆、親子の絆、過去との決別、そして再生。そうしたもろもろのことが描かれる。自暴自棄だったニックが再生のきっかけをつかんだのは弟との刑務所での再会だっただろう。ニックの右手にはアナのイニシャルの刺青があったが、映画の初めの方でニックは苛立って公衆電話を何度も殴り、右手にけがをする。それを放置していたため悪化し、刑務所の中で医者から右手を切断されてしまう。右手をなくしたのは悲劇だが、それは同時に自分を呪縛していた過去との決別にもなったに違いない。そしてマーティンの存在がある。マーティンの名前の由来が明かされるラストは重たくて、ある意味、幸福な余韻を残す。傑作だと思う。

原作はヨナス・T・ベングトソン。監督はトマス・ヴィンターベア。原作はスウェーデンの文学賞を受賞しているそうだ。映画のIMDbの評価は7.4。僕は人が再生する姿を描く映画が好きなので、8.0ぐらいの評価をしたい。

2012/12/24(月)「マージン・コール」

 大手投資銀行の破綻の危機を描く映画。リーマンブラザーズをモデルにしたようで、不動産担保証券(MBS)が招く巨額損失を事前に察知したリスク管理セクションと幹部が回避のため徹夜で協議する。その24時間を緊迫感のある展開で見せる。マージン・コールとは信用取引で口座の資産価値が所定の基準を下回った場合に追加の証拠金を要求することだそうだ。

 Wikipediaによれば、元々は自主制作映画として企画されたそうだが、ケヴィン・スペイシー、ジェレミー・アイアンズ、デミ・ムーア、ポール・ベタニーらベテランキャストがそろっている。今年のアカデミー脚本賞にノミネートされた。日本では劇場公開されず、DVDスルーだった。IMDbの評価は7.1、ロッテン・トマトは7.2。監督はこれが長編映画第1作のJ・C・チャンダ-。

 ただ、どうもこういう題材だと、ノンフィクションの方が向いている気がする。投資銀行内部のゴタゴタを描いただけでは物足りず、全体像を知りたい気分になるのだ。金融危機関係のドキュメンタリーで秀逸なのは「インサイド・ジョブ 世界不況の知られざる真実」で、分かりやすくここまで面白く見せる技術に感心する。アメリカのドキュメンタリーは層が厚いなと思う。だからアカデミー賞には長編ドキュメンタリー部門があるのだ。

 書籍では「リーマン・ショック・コンフィデンシャル 追いつめられた金融エリートたち」がベストと言われているので、ようやく読み始めたところ。

2012/12/23(日)リスクとリターン

わたしのインデックスというインデックス投資支援サイトがある。個人投資家がコツコツ長期分散投資するための情報やツールを無料で提供していて、利用者はけっこういるようだ。ここの資産配分(アセットアロケーション)ツールを利用して作成したのが下のグラフ。現金(定期預金)が6割近くを占めるという保守的なポートフォリオで、リターン1.5%、リスク4.1%。これはどちらも平均(リターン5.1%、リスク11.3%)を下回っている。

ただし、過去のリターンは将来のリターンを規定するものではないというのが定説だ。衆院解散以来、株価が上昇していることもあって、実際のリターンは今のところ10%を超えている。これが続いてくれるとうれしいのだが、日本株は為替の影響を大きく受けるので、また円高傾向になったら、リターンは確実に下がる。

同サイトによると、日本株の過去20年のリターンはマイナス25%という恐ろしいことになっている。さらに恐ろしいのはリーマンショックの時期を含む過去5年間のデータでマイナス43%だ。リーマンショックのような株価の暴落は数年に一度の割合で起きる。株価上昇に伴って「持たざるリスク」なんていう言葉を用いる証券関係者がまたぞろ出てきたが、持っている方がリスクが大きいに決まっているのだ。日本株に集中投資するのはかなりのリスクがあると思った方が良い。

だから分散投資が必要なわけで、「しぶとい分散投資術―世界金融危機でわかった!」という本には分散投資をしていた場合、大恐慌後も数年で資産が回復したと書いてある。3年前に出た本だが、外貨投資に関する説明も的確で、名著だと思う。